100年企業へ、
一枚のアルミ箔から始まった挑戦の物語
1931年、まだアルミニウムが新素材だったころ。
私たちは産声を上げました。
それから90年以上にわたり、
この輝く金属の可能性に賭け続けてきました。
東洋アルミが歩んだ道のりは、
日本の産業そのものの歴史でもあります。
暮らしに不可欠なアルミ箔から、
半導体へ、そして宇宙へ——
私たちの挑戦は現状にとどまることなく、
次の時代へとつながっていきます。
ここでは私たちの歩みと、目指す未来の姿を紹介します。
Startup phase
Chapter.1
原点
日本の産業を支える使命感が、
東洋アルミの原点
東洋アルミの物語は、
日本の工業発展の歩みと重なっています。
鉄など他の金属と比べ、
発見されてからの歴史が浅いアルミニウムは、
新素材として注目されていましたが、
国産化には多くの壁がありました。
当時、市民になじみのなかった素材に
未来を見出した創業者たちの選択が、
約100年にわたる挑戦の起点となりました。
アルミの可能性に賭けた創業期
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1931
4月
アルキャンと住友の折半出資で
「住友アルミニウム」誕生カナダの企業アルキャン社と住友の折半出資により設立された「住友アルミニウム株式会社」が、東洋アルミの原点となりました。両者が50%という出資率で合意し、運営が住友側に一任されたことは、当時の日本にとってセンセーショナルな出来事でした。なお年間生産能力としては、板2,640トン、箔270トンで、国内トップクラスを誇りました。
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1932
7月
試作の日々を越えて
初の商品、印刷用箔が完成紆余曲折を経て、ようやく起業が実現した住友アルミですが、最新鋭の設備をもってしてもアルミ箔の安定生産は難しく、しばらくは試作の日々が続きました。従業員らが昼夜を問わず努力を重ねた結果、製品が出来上がったのは会社発足からおよそ1年後。待望の第1号商品として、印刷用箔(厚さ8μ、幅310mm)が完成し、中島金属箔粉工業株式会社に納入されました。
戦時の躍進、
戦後の再出発と技術革新
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1936
タバコ包装箔で躍進
そして戦時統制の試練へタバコ包装用箔の需要が高まる中、新発売のタバコ「光」に、住友アルミ製のアルミ箔が採用され、大ヒットを記録します。生産力を高めるため、「3段圧延機」「電気焼鈍炉」「ロール研磨機」などの設備導入に踏み切りましたが、戦争に伴う経済統制の影響で、材料の調達が困難に。タバコ包装用箔の大部分は蝋紙に代替され、窮地に立たされました。
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1950
戦災、財閥解体を経て
「東洋アルミニウム」へ1937年には国策に沿って株式会社化していた住友アルミ。戦時中には軍需会社として国の管理下に置かれ、米軍の空襲に遭った工場もありました。1950年には、GHQによる財閥解体により体制と社名が変更され、「東洋アルミニウム株式会社」として再スタートを切ることに。社章も、住友財閥の代名詞である井桁マークから、富士山と楓を模したデザインに刷新され、再出発を象徴する旗印となりました。
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1952
新製品開発に活路を求め
カナダから技術援助を確約アルミ箔の需要が高まるとの見込みから、日本のアルミ圧延業界で事業進出が相次ぎます。ライバルたちと差をつけるため、社内では技術力の向上、新製品開発に対する意欲が高まりました。この時期の東洋アルミは、顧客と共同開発する形で、断熱材、建築材料、農業用品など新製品を次々に送り出します。さらに、1952年1月には、カナダのアルミニウム・ラボラトリーズ社と技術援助契約を締結。この関係構築が、後の発展につながる確かな布石となったのでした。
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1955
1月
技術立国を目指して
「軽金属奨学会」を設立東洋アルミの創立25周年記念事業の一環として、株主のアルキャン社の協力も得て「財団法人軽金属奨学会」を設立しました。先進国と比べ遅れていた技術水準を底上げするため、産学連携による基礎研究の強化や人材育成を推進する組織です。初代理事長は、東洋アルミの代表取締役・小山田裕吉が務め、軽金属工業と軽金属工学の進歩・発展に貢献しました。
DNA of TOYAL
