100年企業へ、
一枚のアルミ箔から始まった挑戦の物語
1931年、まだアルミニウムが新素材だったころ。
私たちは産声を上げました。
それから90年以上にわたり、
この輝く金属の可能性に賭け続けてきました。
東洋アルミが歩んだ道のりは、
日本の産業そのものの歴史でもあります。
暮らしに不可欠なアルミ箔から、
半導体へ、そして宇宙へ——
私たちの挑戦は現状にとどまることなく、
次の時代へとつながっていきます。
ここでは私たちの歩みと、目指す未来の姿を紹介します。
Growth phase
Chapter.2
成長期
暮らしの中へ、国境を越えて
戦後復興から高度成長へと
日本の経済が大きく動き出した1950年代後半、
東洋アルミもまた、
産業資材という既存の枠を超えて動き始めます。
日本初のアルミペーストを開発する一方、
家庭用品を商品化しヒットを記録。
暮らしと世界、
その両方のニーズに応えるアルミ素材総合メーカーへ。
数十年にわたる変貌の歴史が始まりました。
日本にまだない製品を、
自分たちで生み出す
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1955
3月
戦後の需要増を見据え
新型圧延機で増産体制へ終戦後の不況を乗り切り、新型の4段圧延機「R1001」を導入しました。これにより、箔生産能力は年間1,440トン体制に拡大。戦後の混乱期を経て、アルミ箔を含む金属の需要が急伸したのに合わせ、生産体制を一段引き上げる投資でした。東南アジアへの進出を見据える一方で、量と質を両立する基盤が整っていきます。
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1957
7月
日本初の「アルミペースト」を
自分たちの手で生み出す奈良県に竜田工場を新設し、アルミ顔料「アルミペースト」の生産を開始しました。それまで国内で流通していた類似品は品質が低く、扱いやすく美しく仕上がるアルミ塗料が待ち望まれていたのです。竜田工場の機械設備は、ほとんどが国産の新型機。アルキャン社から技術指導を受け、同年9月には初の国産アルミペーストの出荷を果たします。このとき、東洋アルミは「アルミ箔メーカー」から「アルミ素材メーカー」への一歩を踏み出しました。ないものは、自分たちでつくる。それが東洋アルミの選んだ道でした。
食卓に届いた、銀色の革命
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1958
10月
1958年 クッキングホイル
国内初の家庭用アルミ箔
「クッキングホイル」発売新しい分野への進出を試み、国内初の家庭用アルミ箔「クッキングホイル」を発売しました。同時期に、使い捨てアルミ箔容器「ホイルウェア」もラインナップに加わります。これまで業務用・産業用素材だったアルミ箔が、日用品として台所に登場したのです。その後も新製品開発に注力。素材の用途を転換したことで、戦後日本の食生活の変革を後押ししていきました。
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1960〜1963
生産力を拡大し「サンホイル」誕生
ロングセラーの原点に1960年代の高度成長下で、東洋アルミは4段圧延機を立て続けに導入します。1960年から数年にわたり箔圧延設備の増設を重ね、箔の生産能力は年間6,000トン規模に達しました。また1961年には新製品研究会が発足。着色印刷箔の生産にも踏み出すなど、この時代の研究開発はその後も新製品開発の起点となり、食品向けから産業資材まで多くの製品を生み出しています。また1963年に誕生した家庭用アルミ箔ブランド「サンホイル」は、現在まで続くロングセラーとなり、東洋アルミの日用品事業の象徴的な存在となりました。
世界を見据えた研究と進出
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1964
4月
世界初「アルミ箔総合研究所」を
八尾製造所に開設以前から、東洋アルミの社内には研究機関が設けられており、特に高純度アルミの研究において学界・業界に貢献してきました。これをさらに拡充させ、世界初の「アルミ箔総合研究所」を八尾製造所に開設。アルミ箔やアルミペーストのトップメーカーとして、次世代市場を視野に入れた新製品・新技術の創出に注力します。当時、世界のどこにもなかった研究施設を、日本のメーカーが先行して立ち上げた。この事実が、東洋アルミという会社の技術への向き合い方を、何より雄弁に物語っています。
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1968〜1969
パウダー事業を立ち上げ、
アルミの総合メーカーに1968年10月、奈良県に新庄工場を新設し、「アトマイズド・パウダー」の製造を開始しました。これにより、アルミ箔とアルミペースト、そしてアルミパウダーという三つの素材を扱う総合メーカーへと変貌します。1969年11月には、アメリカのエコー社との折半出資により、ホイルコンテナー(アルミ箔容器)の製造販売を担う「東洋エコー株式会社」(現・東洋アルミエコープロダクツ)を設立。開発から製造、販売まで一貫して手がける体制が整いました。
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1970〜1972
コンピュータと最新鋭設備で
生産・情報処理を近代化高度成長のピークに向けて、東洋アルミは生産と情報処理の両面で近代化を進めます。1970年3月には四段箔圧延機「R1007」が完成。国内のアルミ箔需要拡大を受け、国内最大の広幅を誇る新鋭圧延機「R1008」の増設にも着手しました。1971年1月には電子計算機(コンピュータ)をIBM360-25型へ更新し、受注処理から出荷、生産・販売予算まで、複数の業務を同時に処理できる体制を整えます。日本経済がニクソン・ショックに直面する中、8億円超を投じて配備されたR1008は、慎重に試運転を重ねた末、1972年1月]に操業を開始。時代の荒波に揉まれながらも、東洋アルミは設備と技術への投資を止めませんでした。
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1982
7月
フランス、そしてアメリカへ
世界に広がる三極体制1982年7月、アルミニウム・アルキャン・ド・フランス社との合弁で、フランスに「アルキャン—東洋ヨーロッパ社」(現・トーヤル ヨーロッパ社)を設立しました。さらに、1987年7月には、アルキャン・アルミナム・コーポレーションとの合弁で、アメリカに「アルキャン—東洋アメリカ社」(現・トーヤル アメリカ社)を設立。東洋アルミは、欧州・北米・日本の三極体制を築き上げ、グローバルブランドへの歩みを本格化させていきます。
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1993
アルミの技術が宇宙へ
ロケット燃料用パウダー発売ロケット燃料用アルミパウダーの発売は、東洋アルミの素材技術が宇宙領域にまで到達したことを示す出来事でした。アルミパウダーは、燃焼時に超高温の熱エネルギーを発生させるため、ロケットの推力を向上させ、燃焼振動を抑える役割を果たします。地上の包装材から、家庭の食卓、産業の中核、そして宇宙へ。アルミニウムというひとつの素材から、これだけ広範囲にわたる技術を磨いてきた企業は、世界を見渡しても決して多くありません。なお1996年には、創業以来の合弁パートナーであったアルキャン社が、全所有株式を日本軽金属株式会社に譲渡。東洋アルミは新たな資本構造のもとで、次の時代へと向かうこととなります。
DNA of TOYAL
